水泳教室に行くのがつらくて早くやめたかったかずさんです。
幼少期は体が小さくて、体力もなかったからなのか、息が苦しくて、水ばっかり飲んでしまって、いつもゲホゲホしてました。
教室が終わった後に買ってもらえるたこ焼きが食べたくて、なんとか通っていましたが、クロールができるようになった段階でやめてしまいました。
今思うと、もっと泳げるようになるまでやっておけばよかったのですが、それでも苦なく泳げるようになっていたおかげで今、海やプールを楽しむことができています。
あの頃、苦しい思いをしておいて本当に良かったです。
小学生の夏はとにかく毎日プールに行っていましたね。
当然のように子どもだけで行っていました。
でも最近は、子ども達だけでプールに行く姿をあまり見かけませんね。
どうしてなんでしょう。
一緒に行くことを求められるなんて…
地元にある市民プールは小学四年生以上になれば、子ども達同士で入ることができます。
下の子にプールまでの地図を書いてほしいって言われたときには、てっきり子ども達だけで行くんだと思ってました。
でもそれは、友達(とその親御さん)に場所を説明するために必要だったようです。
友達と一緒に行ける日を調整したらしく、一緒に行ってほしいと頼まれました。
友達の親御さんたちもその方が安心するらしいです。
そっか、子ども達だけの行動に心配する親御さんって多いんですね。
それが子ども達にも浸透してるんだな。
今までの私であれば、「なんて過保護な時代になったんだ」って嘆いていたかもしれません。
※フリー素材からお借りしました
世の中を大きく変えたあの事件
フリーライターとして、ジェネレーションギャップについての記事を書いた際、どうしてジェネレーションギャップが生まれるのかを知りました。
やはり、インパクトのある出来事が影響しているんですよね。
就職氷河期とか、携帯電話の普及とか。
昭和の時代を「懐かしき良き時代」ととらえる向きもありますが、まさに昭和の終わりに起きた事件が、子ども達をとりまく環境を大きく変えてしまったようです。
東京・埼玉連続幼女誘拐事件
まさに昭和が終わろうとしていた1988年から1989年にかけて発生した「東京・埼玉連続幼女誘拐事件」によって、世の中の常識は一変しました。
この事件以前は、子ども達だけでの行動を制限されていませんでした。
しかし、誘拐犯が捕まっていない状況下において、子ども達だけでの行動が禁じられるようになりました。
犯人が捕まった後も、また同じような事件が起きるかもしれないとの思いを持ってしまった親たち、先生たちによって、「子ども達だけでは行動しない」ときつく言われるようになってしまったわけです。
知らない人にも挨拶する文化が消滅
この事件は、他にも様々な影響を与えています。
昭和の時代は、「地域の人や知らない人にも大きな声で笑顔で元気にあいさつをしましょう」と教育されていました。
それが常識だったんです。
しかしこの事件以降は「知らない人に挨拶されても、返事をしないように」と教育されるようになりました。
誘拐されるリスクを回避するためです。
大人の方も、知らない子ども達に挨拶などしたら「危ない人かも」って思われてしまうので、声をかけることなどできなくなってしまいました。
つまり、平成以降の世代にとって、「知らない人にはあいさつをするべきではない」ということが常識なのです。
挨拶をすることが習慣化していないわけですから、体に身についていないので、出来なくても当然です。
この世代が社会人になった際「挨拶もろくにできない」と評されたわけですが、当たり前だったんですね。
これがジェネレーションギャップです。
電話に出ても名乗らないのが常識
代表的なジェネレーションギャップに、電話応対があります。
携帯電話が日本で本格的に普及し始めたのは1990年代からで、それまでは家に一台の固定電話しかありませんでした。
かかってきた相手の番号が表示されることもありません。
ですので、電話がかかってきたらこちらの名前を名乗り、相手が誰なのかを確認することが常識とされていました。
間違い電話かもしれませんからね。
しかし、現代における携帯電話はひとり一台が常識であり、表示を見れば電話の相手が誰なのかがわかります。
従って、名乗る必要はありませんし、相手が誰なのかを確認する必要もありません。
むしろ、オレオレ詐欺の撃退などの防犯上の理由から、「知らない相手からの電話には絶対に出ないようにする」「最初に名乗らない」ということが奨励されています。
これは、昭和に生きた、固定電話世代の常識では考えられないことです。
社会人になり、会社にかかってきた電話の対応は、携帯電話の常識とは異なります。
こちらの社名を名乗り、相手が誰なのかを確認し、誰宛なのかを聞いたうえで、電話を回さなければなりません。
家でもこの動作を行っていた昭和世代にはわからないのですが、携帯電話世代にとってはこの流れが初めての体験なんですね。
出来なくて当然です。
昔は良かったとは絶対に言ってはならない
世の中が生きづらくなっているのだとしたら、それは今の世代のせいではありません。
先人たちが行ってきた行動がそうさせているのです。
そんなことにも気付かずに、「昔は良かった」「昭和は楽しかった」「今の子ども達は可哀そう」なんて台詞は、言うべきではないと考えます。
夏が暑くなりすぎて楽しめなくなってしまったのも、今の世代のせいではありません。
子ども達の世界には、口は出さず、邪魔はせず、ただ見守るだけの存在に、徹していきたいと思う次第です。
子どもと一緒にプールに行けるなんて最高!!
親として、こんなに嬉しいことはありません。
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