嫁さんが職場復帰することとなり、心配がつきないかずさんです。
病は寛解したとはいえ、体力が完全に戻ったわけではない状況で、日常が戻りつつある東京の通勤電車の混雑ぶりに耐えることはできるのか、心配です。
とはいえ、病が回復の方向に向かっていることで、絶望の淵から少し脱したのかなと感じています。
人に不幸がおとずれた時
「この世には神も仏もいない」とやさぐれるのか
「神様仏様、どうかお助けください」と神頼みになるのか
おおきく2つに分かれますよね。
私は前者のタイプだと思っていたのですが、実はどちらでもありませんでした。
「二人の子供をしっかりと育てなければならない」
「自分まで病に倒れてしまうことは絶対にできない」
ということばかりが頭の中を占め、日々を一生懸命生きることに追われ、悲観している時間さえなかったという状態でした。
そんな生活の中、一番ホッとする瞬間は、お弁当箱が空の状態で返ってきた時です。
あぁよかった、美味しかったのかな。
友達にバカにされずに食べられたかな。
そんな感じで少し安らかな気持ちになってもんです。
ご飯を食べるという幸せな時間に、子ども達が嫁さんの手料理を思い出して悲しくなってしまわないように、と思ってお弁当を作るんですけどね。
結局上手にできなくて落ち込む。
そんなワンオペ育児の日々とはもう別れです。
嫁さんの体調がもどったわけですから、もう私には作ってほしくないようです。
ということで、写真フォルダに残っていたお弁当の写真をブログの記録にとどめて、削除してしまおうと思います。
スープジャーには本当にお世話になりました。
これは豚汁ですが、シチューなどをよく入れていました。
センスのなさを感じさせなくて済むのが良いところですね。
豚汁のお供は卵焼きをのせただけのご飯
卵焼きは、この期間で本当に上達しましたね。
イシイのミートボールにはほんとにお世話になりました。ピーマンを痛めて絡めるだけで酢豚風になります。
野菜がトマトからブロッコリーに変わっただけですね。
このお弁当、何度作ったのでしょうか。数え切れません。
これは豚丼風ごはんです。
気付いたら、焼いた肉をのっけただけのお弁当も大量生産してました。
これは焼き鳥丼風ごはんです。
いずれも肉を焼いてのせただけ。
野菜不足を気にして、無理やりピーマンをのせた三食丼
たった半年程度でこのありさまです。
お弁当あまり好きじゃないので、アイディアがうかばないんですよね。
本当に子ども達には悲しい思いをさせてしまいました。
味覚と共に記憶に残るお弁当のことって、ずーーーーっと覚えていますよね。
下の子のために作ろうとした焼きそば弁当。
豚肉がなくて、代わりにベーコンを使って作ったのですが、これがまずかったらしく手ですね。
それからずーーーーーーと焼きそばを作るたびに言われます。
「今回は美味しく作ってね」ってね。
いやいや、失敗したの一回だけやん。もうゆるしたってぇーーや。
これから一生、焼きそばを見るたびに私の失敗を思い出すつもりなんでしょうか。
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