大人びた子供すぎて、よく誤解されていたかずさんです。
小学生の頃、車いすの兄の面倒をいつも看ていた同級生がいたのですが、私は二人の姿をみていつも「あいつは本当に偉いなあ」って思っていたんですよね。
それが何故か人伝(ひとづて)で、
「あいつ、お前のお兄さんのことを歩けないってバカにしていたぞ!」
っていう感じで伝わってしまったんですよね。
???何でそうなるの???
って話なんですが、その同級生はめちゃめちゃ激怒してしまいまして(それだけ兄思いのいい奴だったんです)、それ以来口を聞いてくれなくなってしまいました。
そのまま卒業式を迎え、私は別の中学に行くことになったのでそれっきり音信不通です。
それが未だに心残りでね、今でも誤解を解きたかったとの思いを抱き続けています。
さて、本題は娘の話なのですが、最近学校に行きたくないと言い出すようになりました。
理由を聞くと
「言いたくない」
「どうせ私が悪いって言うもん」
これはいけません。私への信頼がないので話してくれません。
何でも話をしてくれる関係づくりをしないと、子ども達はストレスをため込んだまま生活することになってしまいます。
思えば、このあたりの役割も嫁さんに丸投げしてたんだなぁ。
俺に話をしてくれなくても、嫁さんに話をしてくれていれば大丈夫か。
なんて思っていましたもんね。
話をしたくない理由を聞いてみると、どうやら以前同じような話を聞いた際、「おまえが悪い!」って言われたと感じたようなんですな。
その時の私は解決策を提案したつもりだったんですが、それが否定されたって思われたんですね。
相手はコントロールできないですから、解決策って自分がどうしなければならないのかって話になりがちで、言われた方からしたら、
「なんで私は悪くないのに、私が何かをしなきゃならないの??」
「ぜんぜん味方になってくれない!!」
って思われちゃうんですよね。
いかんいかん。
とにかく子供の話を聞くことに徹することにしました。
目線を合わせて根気よく。
最初は心閉ざしていた娘も、根気よく話をすることで口を開くようになってきました。
・友達が「強くつねってみて」と言ったのでつねったら、それを見ていた先生に怒られた
・友達が授業中に話しかけてきたので答えたら、先生に怒られた
・消しゴムが落ちたので拾って筆箱に入れようとしたら、消しゴムで遊ばないでって注意された
・Aちゃんと二人で遊びたいって言っただけなのに、Bちゃんとは遊びたくないって言ってることになってしまった
などなど、出てきますね、いろいろな話が溢れ出てきます。
概ね勘違いされた話か、自分が悪くないのに一方的に怒られたか、
理由も聞かれず、一方の側から見た判断で怒られています。
もしかしたら、注意されただけなのかな。
注意と叱る、怒るの判断は、大人でも難しいですからね。
今回は、解決策を話すのではなく、自分が小学生の頃に誤解されて怒られた話を伝えました。
例えば、私が小学低学年の頃の話です。
貸したお金を返さない友達に
「お金返さないと利子取るぞ!」
って言ったら、その夜親が怒鳴り込んできた話とかね。
子どもらしくないって怒られたけど、
子どもらしいってん何やねん。
正義は我にあり、お金を返さない方が悪いやんけ。
利子取るのは大人の世界では正しい行為やんか。
って思ってたもんなぁ。
具体的な解決策なんてない。
大人になっても、何歳になっても同じようなことは起こる。
憤慨したとき、一緒に憤慨してくれる家族の存在。
振り返ってみれば私の親は、大人びている私の行く末を怖がっていただけで、共感してくれたことはなかったなぁ、と思う、親になった私でした。
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