コロナ禍ですっかりおでかけする機会が減ってしまったのですが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか?
このブログのテーマである「子供と接するのが苦手な父親」である私は、家の中で子供と遊ぶことが苦手で、今までは事ある毎に外出しておりました。
しかし、コロナ禍ではそうはいきません。
どうやって過ごしたらよいのやら。
友人のFacebookなどを観ていたら、
家族でゲーム大会をやりました。アイスクリーム争奪戦です!
勝敗の結果はこの通り、最近ますます子供たちが強くなってきています!
といった投稿を見かけました。
うっ、羨ましい。。。。
わが家は全くそういった雰囲気になりません。
なったとしても、あっという間の短時間で終わってしまいます。
因果応報、自分の過去を思い出さずにはいられません。
どうしようもない姉妹感の年齢差
上の子と下の子の年齢差は3歳強、学年にして4学年。
子供の頃としては、まぁまぁ大きな差です。
しかし、離れすぎているわけでもない。
下の子は常に上の子と対等だという気持ちで接しています。
下の子が上の子を「お姉ちゃん」と呼んだことはありません。
常に名前を呼び捨てです。
※わたしが兄のことをどう呼んでいたのか、思い出そうと思ったのですが、思い出せませんでした。
名前呼び捨てではなかったと思うのですが、「お兄ちゃん」と呼んだ記憶がなく、どうしていたのでしょう。
これがゲームとなると、どうしても上の子が勝ってしまいます。
それがどうしても耐えられないんでしょう。ストレスになっているみたいです。
何度か連続で負けると、すぐにやめてしまいます。
負けたくないから勝てるように特訓するわけではなく
負けたくないからやらない、という選択
残念ながら、わたしと性格が似てしまったようです。
まだ、負けたくないからやらない自分がいる
わざと手を抜くことと、本当に負けることとは全く意味が違います。
以前、子供にわざと負けることの是非について綴らせていただきました。
戦略を考えるようなタイプのゲームはまだまだ勝てる状況ではあるものの、記憶力系や反射神経系はもう駄目ですね。
トランプのスピードが今、ぎりぎり良い勝負って感じです。
神経衰弱やなんじゃもんじゃは圧倒的な差で負けてしまいます。
なのでそこには、負けたくないからやらない自分がまだいるんですよ。
負けてあげりゃーいいじゃないですか。
そんなことはわかってるんですよ、でも感情が追いついていかないんです。
不得意なことをやりたくないという感情なのかもしれません。
ですので、負け続けてしまうとやめてしまうという、下の子の気持ちが痛いほどわかってしまいます。
性格が似ているから何をやろうとしているかがわかってしまう
子供と性格が似ている場合、次に何をやろうとしているかがわかってしまうことってありませんか?
負けたくないからやりたくない
不得意なことは、うまくできないからやりたくない
嫌いな食べ物は絶対に食べない
嫌だと思った人には近づかない
完全なる内弁慶タイプ。
ずるをしてでもゲームに勝とうとする自分。
人生ゲームなどでは必ず銀行役をかって出て、ビリになりそうになると、ちょっとごまかしてしまっていた自分。
子供の頃のわたしはまったくもって上記のタイプの人間でした。
「ずる賢い」ところには子供とは思えないほどずいぶん知恵が働いていました。
勉強も、得意科目はどんどん勉強するけど、苦手科目を克服する気持ちがおきなくて
ずいぶんそれで苦労した思い出があります。
社会に出ると、苦手なことを克服しなければならないことばかりです。
ここから逃げてしまうと、
これって、人生の幅を狭くしてしまうんですよね。
しかし、人生を振り返ってみると、長所を生かすことのみを選択してきたのではないかと思える自分がいます。
これからも、彼女の選択について、どうしてそうしたのかの理由がわかってしまうんだろうと思います。
その時、どうアドバイスしたら良いのだろう。
「お父さんみたいになるな!」
これは昔から嫌われる言葉の定番ですよね。
あと数年で、この答えをわたしは見つけなければなりません。
最後に
わたしはキャリアコンサルタントの仕事をしているのですが、たまに
「対人コンプレックスを克服するために営業職を選びました。」
っていう人に出会います。
とてつもない尊敬の念を抱くと同時に、
「何でそんな辛い道を選ぶのかがわからない。長所を生かせば良いじゃん。」
って思う自分がいます。
元来持っている性根の部分、変えることは難しいですね。
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