不登校やLGBTQ問題など理解が必要な問題こそ「偽善者」であれ!と思う 

お題「自分が偽善者だと思った瞬間、または人を偽善者だなと思った行動を教えてください。」

電車で席に座りたいと騒いでいる子供をみると、積極的に席を譲ってしまうかずさんです。

正直、心の中は

「わがまま言って騒いだら、希望が叶うなんて思うなよ」

って思ってるんですよ。

自分がやりたいことを我慢する子どもだったので、素直にわがままを表現する子どもって本当はあまり好きじゃない。

でも、親が大変だろうなって思ってしまう気持ちもあり、席は譲る。

子どもをいたわる気持ちがあるわけじゃない。

私は偽善者です。

でも私は思うんです。

偽善者が増えれば、世の中、もっと暮らしやすくなるんじゃないのかなって。

ブログでは、主義主張を語らないように心がけてきました。

何者でもない私の主義主張なんて誰も興味がないと思っていたからです。

ですが今回は、どうしても書きたくなって筆を執りました。

不登校生に対するあり得ない行動

先日仕事で、不登校などの経験がある中学生に向けた、複数校が参加する高等学校の合同説明会に参加してきました。

親の参加が多かったですが、子ども達の参加者も3割ほどいたでしょうか。

そこで、ある夜間高校の副校長先生がこうおっしゃったのです。

「高校は義務教育ではないので、学校には行かなければ単位が取れない」

「学校なんだから決められた時間に登校することは大前提」

「夢を見つけなさい。そしてそれを追いかけなさい!」

おいおい、マジか。

不登校の子ども達は、学校に行きたくても行けないから困っているんだよ。

至極正論なんだけど、不登校経験者向けの場でそんなこと、言う意味ある??

「やらない」のと「やれない」のは違う

何かの理由で学校に行けなくなってしまった子が、不登校になってしまう。

その理由は、ほとんどの子がわからない。

多くの子が、不登校から脱却したいと思っていても、それができなくて悩んでるんだよ。

集団生活が馴染めない子ども達もたくさんいる。

夢を持とうにも、スタートラインにさえ立てていないと感じている。

この方のおっしゃっていることは間違いじゃないのはわかる。

夜間学校の先生だから、なかなか学校に来ない生徒をどうやって学校に来させるか。

日々悩んでいる、とてもまじめな先生なんだと思いました。

でも…

本当はできるのに「やらない」子ども達に対しては正論です。

でも「やれない」子ども達に、この台詞は酷でしょう。

頑張らない怠け者だと思うのは仕方がない、けども

「頑張れない人」「やる気のない人」が不登校であったり、うつ病などになったりするんだと思っている人は、まだまだ多いのでしょうね。

自分がそういう体験をしていなければ、わからなくても仕方がありません。

教育者の方は、頑張れる人であり、やる気のある人なんだと思います。

でもね。

やりたくてもやれない人がいるってことは、知識として理解はできるはず。

共感できなかったとしても、疑いの気持ちがあったとしても、その人個人の感情が追いついてこなかったとしても、それは別の話です。

自分が理解できない存在が世の中にはたくさんいるんです。

それをまず認めてあげましょうよ。

やりたくてもやれない子供に対して、「やることが大人への第一歩だ!」みたいなメッセージを言い放つなんてことはやらないでよ。

「やっぱり、私がダメな人間なんだ!」って

思ってしまったらどうするのよ。

LQBTQ問題

同性婚を認めないという立場の人はこう言いますよね。

「社会や価値観が大きく変わってしまう」

「家族観が崩壊する」

「同性婚を認めるような国にいたくないという人がいる」

この手の発言を聞くと、いつも思うんですよね。

「そんなに簡単に崩壊する価値観や考え方なら、崩壊してしまっても良いのではないか。」

「そもそも変わる前の世界が差別が蔓延している、変えるべき世界だろう!」

「同性婚を認めない国にはいたくないという人だっているじゃん。」

って。

国が認めなかったとて、、LQBTQの人たちの気持ちは変わらないし

認めたからといってLQBTQの人たちが増えるわけではない

自分とは考え方が違う人がいても、その人たちが住みやすい社会をつくることこそが政治なのでは?

政治家こそ偽善者たるべきでしょう。

自分の主義主張に合わない人のためには動かないなんて、公人ではないですよね。

いったい、何を守ろうとしているんでしょうね。

理解できなくったって、理性的な行動をする「偽善者」の方が、聖人ぶっている政治家より何倍も優れていると思うんですよね。

こころの中で何を考えていてもいい

頭にきて「あいつを〇してやりたい」と思ったことがある人は少なくないでしょう。

しかし、思うだけでは犯罪にはなりません。

極論、どんなことを思っていても良くって、誰からもとがめられる筋合いはありません。

「こんな気持ちになるなんて、私はなんて悪い人間なのかしら」

なーーーーんて、思わなくてもいいんです。

何を考えても自由なわけですから。

だから、人は皆、「偽善者」でいいんですよ。

騒いでいる子どもを見て「うるせぇな」って思っても、その人は悪い人ではない。

しかし、怒鳴り散らしてしまったら、それは悪い人になる。

当然、殴るなど反社会的な行動に移してしまったら、それは犯罪者です。

変えるべきは行動です。こころではありません。

こころは変えようとしなくてもよい。

悪い感情を抱いてしまう自分を責めなくても良い

ただただ、偽善者になれればいいんです。

世の中にはいろいろな人がいる。

全てを分かり合えることなんてできない。

感情が追いつかなければ、態度だけでいいんですよ。

ってね。

でもなぁ、こういう発言をすると、各所から非難されるんですよね。

大学時代に論文を提出したら全否定された過去を思い出してしまいました。

まぁ、私のブログなんて見ている人は少ないから、影響はないとは思いますが。

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