離れていく人 寄り添ってくれる人 窮地に立った時にこそわかること

人生二度目の窮地に立っているかずさんです。

 

窮地という言葉がふさわしいとは思っていないのですが、他に言葉が見つからずに使ってしまいました。

 

人生最大のピンチは、父親の会社が倒産し、家族が離散し、大学受験に失敗した時なのですが、「どうして自分だけこんなに不幸なのか」と周囲を呪ったものです。

 

時はバブル全盛期、周囲は浮かれているのに自分はどん底の生活。

知らない土地の自治体から届いた、成人式の案内を破り捨てて、やさぐれていました。

 

今思えば、なんて弱い、卑屈な男なんだろうって思いますが、世の中に背を向けることで何とか自分を保っていたんだと思います。

 

その時、ほとんどの交友関係が切れてしまったのですが、こんな情けない私に対して何も言わず、ただただ隣にいてくれた友人が数名いました。

 

友人は地元に残っているので、社会人になってからはほとんど会うこともなく、中には30年間で数度しか会っていない友人もいます。

 

今回妻が長期入院となり、気持ちはどん底、弱っちい私の人生二度目の窮地です。

とてもじゃないけど、年賀状をこちらから出す気にはならず、返信だけしていました。

状況的に年賀状をだす気分にはならなかったこと、妻が長期入院になっていること、ワンオペ育児中であることを伝えました。

そして、ほとんどの人からは音信がありません。。。。。

 

まぁ、確かにそんなこと言われても、何といって声を掛けたらいいのかわからないですよね。

触らぬ神に祟りなし。

火中の栗は拾わない方が良い。

 

本当に強い人は、何も語らず平静を保っているんでしょう。それが正解です。

でも吐露してしまった弱い自分がいました。

私の交友関係も、以前窮地に立った時のようにリセットされるんだなと思っていました。

 

そんなある日、知らない電話番号から電話がかかってきたんです。

仕事でも使用している電話なので、「誰だろう」と思いながら出てみると、なんと一回目の窮地の際に寄り添ってくれていた、十年以上会っていない友人でした。

 

私の携帯電話の番号が何度か変わってしまっていたため、郵便物をひっかきまわして、やっと正しい番号に辿り着いたんだとか。

 

「何もできることなんてないんだけどさ、とりあえず話をしようと思って。」

 

と語る友人。

 

涙が止まりませんでした。

 

不幸に叩き落されたとき、周囲ができることなんてほとんどありません。

自分でどうにかしていくしかないのです。

 

でもそんな時、ただ傍にいてくれるだけでどれだけ心強いか。

 

その後にも数名、連絡をくれた友人がいました。

 

今、私は、この素晴らしい友人たちのように、傍に寄り添える人間であり続けたいと思っています。

 

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